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人生を予告された若者の嘆き

 

中国、明の時代――、明とは当時の王朝名で、朱元璋という人が都を北京に移して国威をふるった時代だが――この明の時代に袁了凡というひとりの若者がいた。了凡は非常に動勉家で、若い頃から官吏を志して家の手伝いをしながら、勉学に励んでいた。が、了凡の母親はそれをあまり快くは思っていなかった。というのは、了凡は幼くして父親を亡くしているが、父も生前は官吏であり、無実の罪で投獄され殺されたといういきさつがあったからだ。

「了凡よ、お願いだから官吏になることだけはあきらめておくれ。」

母は了凡が父の二の舞いを演ずることを極度に恐れ、涙を流してこう言うのだった。

母思いの了凡は、けっきょく母の願いを受け入れて官吏をあきらめ、かわりに医学の道を志すことになった。ある日了凡は慈雲寺の境内で、孔という名の、まるで仙人のような老人と出会った。孔老人は了凡の顔を見るなり、こう言った。

「ほう、あんたはおそらく官吏になるじゃろう。一生懸命勉学に励みなさい。必ず試験に合格するはずじゃ…。」

孔老人が言うには、了凡は県の試験で14番目、府の試験で72番目、道の試験では9番目に合格するということであった。さらに孔老人は、了凡が一生子供に恵まれないこと、53歳の8月14日に一生を終えるであろうことまで予言した。翌年、半信半疑ながら官吏の試験を受けてみると、果たせるかな結果は老人の言ったとおり、県で14番、府で72番、道で9番の順ですべての試験に及第したのであった。これによって了凡はついに念願の官吏になることが出来たわけだが、しかしこの時了凡は心の底から喜ぶことは出来なかった。

人間の運命というものをしみじみ感じたからだ。

「人間の運命は、人間が生まれる前からすでに決まっている。私が官吏になれたのも、私が努力したからではない。私がそういう運命をもって生まれてきたからだ。短命も長命も、成功も失敗も、すべては運命のなせるわざなのだ。運命はどうあがいても絶対にかえることはできない…。私も53歳の8月14日にこの世を去ることになるであろう。」

 

運命に身をゆだねるのは愚かな行為

その後、再び北京に戻った了凡は、新たに棲霞寺というお寺を訪ね、およそ三昼夜にわたって座禅を組んだ。それを見た棲霞寺の住職雲谷禅師は言った。

「あなたは三日間ろくに眠りもせずに座禅を組んだ。これは凡夫にはおいそれと出来ることではない。また、人は邪念がつきまとうためになかなか悟りに達することが出来ないのだが、今のあなたには邪念というものがいっさいない。これはいったいどうしたことか。何か理由がおありのようだが、よかったら聞かせてもらえまいか。」

これに対して了凡は「私は昔、易の名人である孔老人に私の一生を占ってもらいました。」と、これまでのいきさつを話してから次のように言った。

「人間には定められた運命というものがあります。運命に逆らうわけにはまいりませんから、私はすべてを運命にゆだねて生きていこうと決意したのです。その瞬間、何か邪念が取り払われたような気がします…。」

「ワッハッハッハッハッ」

了凡の話が終わるか終わらぬうちに突然、雲谷禅師は大声で笑いだした。

「あなたはもっと優れた人物であるかと思ったが、ただの凡夫であったか。いささかがっかりしたのう。たしかに運命というものはある。孔老人の予言がことごとく的中したというのなら、あなたの運命もたぶんそのとおりなのであろう。だが、運命をそのように定められたもの、かえられないもの、と考えるのはまちがいである。それは愚か者の考えることである。あなたのような優れた人物の考えることではない。」

「ほう、それでは禅師は、運命はかえられるといわれるのですか。」

「もちろんですとも、正しい信仰 ( 信念 ) をもち、意識の変革を行って努カ精進していけば、どのような運命であろうと、必ず」かわるものです。孔老人の占いによれば、ほとんどの試験には及第するが、ただひとつ科挙の試験にだけは及第しないとのこと。

また、あなたには子供も出来ず、そして53歳の8月14日に亡くなるとのこと。

これらのことをあなたが信じて運命に身をゆだねているかぎり、あなたはそのとおりの人生を 歩むことになろう。が、このような運命をもったということはあなたに徳がないのだから、神仏にざんげし、そして意識の変革を行って修行に励んでいくことです。

そうすることによって、必ずあなたの運命はかわるはずです……」

 

陰徳あれば陽報あり

以後、雲谷禅師の指導にしたがって、了凡は意識の変革を行うとともに、瞑想を中心とした善事三千行の修行に励んでいった。

すると、どうだろう。おどろいたことにそれから数年後に、あれだけ受からなかった科挙の試験にみごとに及第することが出来たではないか。この事実に、了凡は運命の転換が可能であることを悟り、ますます修行に拍車がかかった。

さらに数年後、出来ないはずの了凡に子供が出来た。かわいい男の子が生まれたのだ。

そしてついに運命の日はやってきた。袁了凡、53歳。8月14日丑の刻。

しかし、この日は結局何も起こらず、心身ともに無事であった。それどころかこの年、了凡はみごとに県知事に昇格している。

こうして了凡は雲谷禅師に出会い、意識の変革を行って善事三千行の修行に励み、そして新しい人生を歩み始めたことによって運命は完全にかわってしまったのである。

ちなみに了凡はその後もますます壮健で、なんと82歳まで生き長らえたとのことである。参考までに紹介しておくと、了凡の行った善事三千行の修行とは、おおむね次のようなものであった。

瞑想をして運命の先取りをする。意識を悪から善へ転換する。身よりのない者を引き取り養う。悪人を悔い改めさせて善い行いにつかせる。不法な仕打ちを受けても仕返ししない。社会のためになる本を書いて世に出す。人が善い行いをしたときは、最大にその善をほめる。事業を興してその利益を社会に還元する。無実の者を助け、その無実を証明してやる。立場の悪い動物を保護して守ってやる。

要するに善事三千行とは、“ 陰徳あれば陽報あり ”という仏教の訓えに基づいたものであり、意識を悪から善、弱から強、陰から陽に転換するとともに、善い行いをして宇宙の心に良い種を蒔き、それによって運命をかえようとする作業のことである。

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